お久しぶりです♪
久しぶりにブログを書こうと思ったのは…巨人が優勝したから(´-ω-`)
で…
中日ファンだけど、巨人優勝が何だか嬉しい!
この気持ち…わかる方いるかな?
私今現在30代後半です。
中日ドラゴンズは、まだまだ諦めずCSを目指して頑張っている最中。
方や巨人は優勝!
立場が全然違いますけど…嬉しいんですよ何故か(* ̄∇ ̄*)
中日ドラゴンズの最近の黄金期と言えば落合ドラゴンズ。
色々と言われてますけど、間違いなく黄金期でした。
その黄金期にライバル球団として切磋琢磨し優勝を争ったのが巨人。
ここ数年は中日ドラゴンズ低迷(今でも盛り返したとまでは言えません)
巨人も優勝を逃してきました。
その巨人さんが優勝!しかも原監督で!
懐かしい感じと、ライバル(勝手に思ってますw)が優勝したという…感慨深い、思わず原監督の涙でもらい泣きしました(;´∀`)
めちゃめちゃ僅かな可能性ですが…CSを目指して頑張っている球団のファン。
同じ土俵で戦っているとは言い難いのですけどね(;´∀`)
本当に、心から!
巨人優勝おめでとうございます!!!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
ヤクルト名選手、館山昌平投手、畠山和洋選手、お疲れさまでした!
もらい泣きパート2(´;ω;`)ウッ…
私の年齢は先ほども書きましたが30代後半です。
今日の試合は中日ドラゴンズは大量得点で勝ち。
試合結果は嬉しいのですが、館山投手と畠山選手を現役でもう見れないと思うと複雑です。
お二人には苦しめられましたよ神宮で!!!(笑)
でもやっぱりリアルタイムで活躍を見てきた世代としては、心から寂しい限り。
まずはこの2人の経歴をご紹介。
●館山昌平投手
- 日本大学藤沢高等学校、日本大学、東京ヤクルトスワローズ (2003~)
- 2003年 7月に初めて一軍に昇格すると0勝3敗と、好投を続けたものの勝ち星に恵まれず
- 2004年 キャンプ中に右肘の靭帯を断裂。トミー・ジョン手術(1回目)リハビリでシーズン終了
- 2005年 4月に一軍復帰、4月27日にプロ初勝利。1年間ローテーションを守り、10勝を挙げる。右手薬指と小指の感覚が鈍いという理由で11月に右肘の再手術
- 2006年 手術の影響から開幕に間に合わず、5月の一軍復帰。1勝3敗と結果を残せなかった為、中継ぎ転向しプロ入り初セーブ。自己最多の44試合に登板。
- 2007年 開幕当初は中継ぎ、5月からは先発、7月末から抑えと度々配置転換。最終的に防御率3.17でありながら12敗(3勝5S)を喫したが、一度も二軍に降格することなくシーズンを通して一軍の戦力として貢献した。
- 2008年 シーズンを通して先発ローテーション入り。最終的に12勝を挙げ、最優秀勝率投手を獲得。防御率も2.99を記録。オールスターゲームにも初出場
- 2009年 4月28日の中日ドラゴンズ戦で4年ぶりの無四球完投勝利(被安打7、失点1)。そこから12連勝!2度目のオールスターに出場。年間通してローテーションを守り、16勝目!吉見一起と共にセ・リーグ最多勝のタイトルを初受賞。
- 2010年 12勝を挙げリーグ最多の4完封2無四球試合、防御率は2.93
- 2011年 自己最高となる防御率2.04を記録し完投・完封もリーグトップを記録。WHIPも1.00を切るなど投球内容ではキャリアハイを記録。しかし、血行障害を発病するなど好成績の裏側で苦しみ、右手血行障害の手術を受けた
- 2012年 防御率2.25、12勝の好成績を記録。
- 2013年 4月5日、4回途中で右肘に違和感を覚えて降板。翌日に病院で検査を受けたところ、右肘靭帯の再断裂、トミー・ジョン手術(2回目)股関節の関節唇損傷の修復手術も受ける。
- 2014年 一軍キャンプスタート。順調な仕上がりに見られたが、異変が起き右肘外側滑膜ひだ切除手術。同時に右肘の内側側幅靱帯再建と右前腕の屈筋腱縫合手術も。
- 2015年 復帰登板を果たすと、3ヶ月で6勝を上げる活躍を見せ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。またこの年の日本シリーズでは第4戦に先発した。その功績として、カムバック賞受賞。
- 2018年 数年間苦しみ抜いた末にやっと出場登録も同日の試合で、打球を右腕に受け、降板。その翌日に登録抹消。
- 2019年 9月21日、本拠地神宮球場での中日戦に引退試合として先発登板、大島洋平を二ゴロに打ち取り現役生活を終えた
トミー・ジョン手術を3度経験し、その他にも肩関節、股関節などに9度に渡って身体にメスを入れ、全身には175針の傷跡が残っている
怪我をしては復活し大活躍。85勝67敗10セーブ24ホールド、通算防御率3.31。
200勝など大記録はないものの、怪我をしては不屈の精神で復活した姿は記憶に残り続けますし、様々な人に勇気を与え続けた大投手だと思っています。
●畠山和洋選手
- 専修大学北上高等学校、ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズ (2001~)
- 2002年 19本塁打・56打点でイースタン・リーグの本塁打王・打点王の二冠。
- 2004年 一軍に初昇格し、プロ初安打。
- 2005年 8月に一軍昇格。その日代打出場でプロ初本塁打。
- 2006年 二軍で打率.313・7本塁打・101安打で最多安打を獲得
- 2008年 4月に一軍昇格。シーズン終盤まで4番打者として出場。最終的に121試合に出場し、自己最多の9本塁打・58打点という成績を残した。打率も.279を記録
- 2009年 打率.236・4本塁打・19打点、得点圏打率は.172
- 2010年 6月下旬からスタメン起用が増え、93試合出場ながら自己最多の14本塁打を記録し、出塁率.380・長打率.551と結果を残した。
- 2011年 一塁手と左翼として出場し、オールスターゲームにファン投票で選出。シーズンを通してチームの4番として恥じない活躍を見せ、リーグ2位の23本塁打、リーグ3位となる85打点、リーグトップの78四球を記録。
- 2012年 オールスターゲームに監督推薦で選出され、2年連続の出場を果たす。
- 2013年 打率は2割前半から上がらず、8月末に二軍落ち。9月には戸田球場での守備練習中に左脇腹を痛めて戦線を離脱
- 2014年 6月走塁中に左足を痛めて左大腿二頭筋肉離れで全治4週間。7月復帰。最終的には本塁打17、リーグ7位となる79打点、規定打席も到達。自己最高となるリーグ8位の打率.310、得点圏打率はリーグ2位の.402を記録
- 2015年 4月プロ野球史上273人目の通算100本塁打を達成。キャリアハイの26本塁打、チーム日本人最多記録となる打点105を記録し打点王のタイトルを獲得。優勝を果たしたヤクルト打線を牽引した。
- 2016年 6月に左有鉤骨の骨挫傷と診断、以前から傷めていた右アキレス腱の状態の悪化、そのままシーズンを終える。
- 2017年 4月中旬に左ふくらはぎの負傷で離脱。出場15試合でシーズンを終える
- 2018年 75試合の出場で打率.248、5本塁打、27打点。
- 2019年 9月21日の本拠地神宮球場での中日戦で引退試合。6回裏にバレンティンの代打で出場、柳裕也から右前安打を放ち現役生活を終えた。
通算、打率.265、出塁率.346、長打率.428、本塁打128
館山選手と同じくケガに泣かされた現役生活です。でも…あの見た目あの笑顔。一度見たら忘れられません(笑)
そんな畠山選手の涙。見てるこっちもつらい。
お二人の共通点は東京ヤクルトスワローズ一筋!
FA移籍することが悪いという訳ではなく、一筋だからこそ対戦相手としてのイメージが強く残ってます。移籍を繰り返していると、どうしても色んなユニフォームやチームカラーに埋もれて選手個人のイメージが薄くなるような気が。
ヤクルトと言えば!という言葉で思い出すお二人です。
最後の舞台が中日戦、何だか光栄です。
まとめ
巨人優勝と印象深い選手2人の引退。
応援している中日が大勝したのですが、すっかりイメージが薄い(苦笑)
感動の涙と寂しい涙。
明日は目が腫れそうです(;´∀`)
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